自分の本音に気付いた瞬間

こんばんは、にじの青です。

今日は、先日、あることをきっかけに自分の本音を知ることがあったので、そのことについて。

「オモシロい」ってなんや、それ?

私、現役の「女王」という肩書をもつサービス業従事者なのですが、いろんなお客様に出会います。皆様、それぞれにご利用目的があり、ご予算に応じた時間内で、お求めになられる目的が最大限、叶うように、様々な手段で対応させていただいおります。

で、も、ですね。

今回、久しぶりに、カチンと来たことがありました。

それが、「オモシロいオプションって無いの?」という言葉です。

「面白い」って非常に汎用性が高い言葉です。

お前、おもろいな、というのは、関西では最高の褒め言葉だということも存じてはいます。

興味深いという意味で、使われる言葉でもあります。

でもね、その時、私はひさびさに真顔でカチンときました。

「今、お前、なんて言った?」からに始まり、真顔で延々問い詰めモード。

職務柄、問い詰めることや怒鳴る、罵倒などはしょっちゅうするのですがが、それはあくまでも求められている上での行為ですので、ある種芝居がかっています。

けれども、このときばかりは、冷静さを意識しなければならないくらいに、個人的にイラっと来てました。

何故、「オモシロい」という単語に反応してしまったのか。

それは、イラっとした直後、自然と自分で気が付きました。

自分が真剣に取り組んでいること

「オモシロい」という単語に、過剰反応した私の本音には、

「自分はこの世界やこの仕事が好きだ」

という、自分の好きなものをけなされたときの憤りがあったのです。

最近でこそ、初対面の人にも自分の職業についてお話しすることも増えましたが、世間一般からして性風俗のなかでも、一番理解がしにくい業種であるBDSMという世界は、「なにそれ?うまいの?」という世界だと思います。

実際、このブログ自体を立ち上げるに当たり、友人にある程度、設定や書き方などのコンサルをしてもらったのですが、用語にしても、何にしても、「未知過ぎる」ことが多かったようで、セクシャリティの多様化などといっても、まだまだ、ほんの氷山の一角程度しか見えておらず、セクシャルマイノリティという存在が一般知識として浸透するには、時間も情報量も足りていないのだなとも思います。

BDSMがどういう世界なのかを語ると、軽く10万字越えの論文になりますので、そちらについてはまた、別の機会に書かせていただくとして、サービス業としての「女王」の元には、だいたい大きく分ければ、2通りの利用パターンがあります。ひとつは、女性に主導権を握られて、被虐願望を満たされたい人たち。もうひとつは、ノーマルの性風俗サービスに飽きて、目新しい別のサービスを求める興味本位の人たち。今回、私がカチンときたのは、もちろん後者パターンの人でした。

激辛ラーメンをチャレンジする

興味本位であったとしても、サービスして提供するわけですから、こちらは常に、真剣です。

食レポバラエティなどで、激辛ラーメンやゲテモノ料理などを面白半分にとりあげることがありますが、作っている人はいろいろ試行錯誤して、「お金を取れる価値がある」レベルになったから提供しているわけです。もちろん、客寄せパンダとしての効果を狙っている場合もありますが、テキトーにちゃちゃちゃっと作っているわけではないのです。

もちろん、世の中には、「辛ければ辛いほど、興奮して食べたくなる」辛い物マニアなひとたちもいらっしゃるので、なおのこと激辛料理というのは、ただ「辛ければいい」のではなく、「辛いけれど、美味い」という難関料理でもあるのです。今は、すぐ、SNSでお客様が個人の感想を発信できる時代ですから、「めちゃくちゃ辛くて、料理としても美味い」状態の完成度であるかどうかなんて、すぐバレてしまう訳です。

つまり、食べる側は、興味本位だけだとしても、提供する作り手側は、真剣に食材を研究して、提供している。

これって、実はすべてのサービスにおいていえることでもありますよね。

BDSMは激辛ラーメンと同じ

私は、よく食べ物に例えて、自分がしている役目のことについて説明をします。よく使うのが、ラーメンやファミレス。

ラーメンって、ものすっごく種類があるでしょう?ファミレスって、ある程度の食べ物飲み物が揃っている。でも、どちらにも言えるのが、自分で選ばないと食べたいものにありつけないところ。

たとえば、サイゼリヤに行ったとしても、「今日はおまかせで!」でと伝えて、自分の食べたいものが100%全て出てくるわけではありませんよね?かつ丼食べたいのに、サイゼリヤ行っても、無理です。だって、お店のジャンルはイタリアンですから。自分でメニューから何を注文するか決めて、呼び出しボタン押さないと、注文すら聞きに来てくれません。ドリンクバーだって、温かいコーヒーなのかジュースにするか、ハーブティにするかも、全部自分で選ぶわけです。

BDSMも、同じなのです。懐かしの「ビストロSMAP」と一緒で、当店にはメニューがございません。ゲストの食べたいものをご注文いただいて、シェフが調理します。だから利用する相手の要望がざっくりでもわからないと、「ナニしにきたの?」と質問攻めされてしまうのです。そして、多くの初心者さんたちは、自分の性嗜好をうっすらとしか自覚していません。「辛い物食べてみたい」くせに、「自分の辛さ限界」を把握していないまま、勢いでLEEの50倍を買って、むせて食べられないまま、「辛い物コワイ」と勝手にトラウマ化してしまう。

そりゃ、当たり前です。

辛い物を美味しく食べたいなら、自分の味覚限界値を知る。そして、徐々に辛さのレベルを上げていけば、辛い物への耐性は鍛えられます。そう、辛さトレーニングが必要なのです。

普通に射精するだけじゃ、なんか物足りないから、SMってどんなもんかと思って来た。そういう人に、逆さ吊りして、血が出るくらい鞭でビシバシしても、ただの虐待ですので致しません。「女王様コワイ」のトラウマ作るだけですので。そういう人には、もっと別のアプローチがあるのですが、その話をし始めるとキリがないので、別の機会に。

私の好きな世界

セクシャルマイノリティをうっすら自覚しつつ、LGBTには居場所の無かった私が、気が付けばBDSMの世界にかれこれ10年以上お世話になっているのは、単純に好きだからです。

何が好きかと訊かれると、これまた延々書き続けてしまうので、簡潔に言います。「相手が自己開示していく様子を観察する特権がある」からです。毎回、肉体ってすごいポテンシャルあるな!とか、人間の感情って、繊細で興味深いなと驚きに満ちています。仕事ではありますが、目の前の相手に楽しませてもらっているので、趣味と実益、好きなことを仕事にしている一つの例です。

人間て欲によって、成長する生き物です。

そのものすごく、原始的な欲求を満たそうとしている相手に対して、どこまでのことが出来るかはいつも、手探りです。経験から推測するパターンと嗜好を頭の中であれこれこねくりまわして、限られた時間内にどこまでの娯楽を提供できるのかが、私の役目です。

とにかく、私がとてもニッチでマニアックな世界がたまらなく好きだと言う事が、最初から最後まで詰まった記事になりました。

とうとがなし

Much Love Always with You

にじの青

 

 

 

 

産後ケアが当たり前になる性教育を

妊産婦の自殺理由

のっけから、非常にヘビーな見出しですが、

これ、非常に残念な現実。

はたからすると幸せ絶頂で早くマイベイビーに会いたいっ!っていうイメージな

たまごくらぶな世の妊婦さんにも、

自らだけじゃなく、生まれてくる予定だった命ともども

この世からあの世へ旅立ってしまわれるケースが実は数多く起きているんです。

その、一番多い理由が

マタニティうつ

そして、同じように

産後うつ

という状況で、せっかく10月10日の妊娠期間から、出産

ママとしてのデヴューを切った矢先に、

世をはかなんで。。。というケースも近年増加しているとのこと。

出産後って80才と同じ体力しかない

わたくし、身体のケアを細々と地方都市でしているのですが

マタニティケアについては、本当にここ2~3か月の付け焼刃程度の知識しかないからこそ、

衝撃の事実を毎回、知らされる次第で

出産直後の女性って、どんだけ実年齢20代だろうが

 

80歳のおばーちゃん並みな体力気力しか出せない

くらい、出産でエネルギー全部使い果たしてるんですって!

 

や、80歳でも足腰ピンシャン!入れ歯も無く、ボケもせず、元気いっぱい!って女性もいらっしゃると思うんです。

でも、ね、「ハウルの動く城」ってジブリアニメ映画で

主人公のソフィーがいきなり、老婆化したように

今まで当たり前に出来てたことが出来なくなる現実

って、とっても挫折感満載だったりするんです。

くやしいし、あせるし、なさけないし。

 

それが、出産後半年続くんです。

 

そら、うつにもなるさ。

 

ご実家でゆっくりできる人でも、3時間おきに泣くわが子に焦る日々なのに、

旦那は仕事、日々、自分だけで赤子と二人きりで

旦那のお世話もして、赤子のこともお世話して、自分は後回し。

 

これ、別に、極端な事例じゃないって思うんです。

だって、日本人女性、基本、自分よりも他人大事にしましょうねって洗脳されているから。

それが、おかあさんのあるべき姿だって、ドラマやCM、いろんな角度から刷り込まれているから。

だからこそ、産後ケアが当たり前の世の中にならなきゃ、

「妊娠出産をしよう!」って思う女性は増えないんです。

性教育は、避妊教育ではない。

私がこの、レインボーセクソロジーで一番伝えたいことは、

「心も身体もふくめた性教育を当たり前にしたい」ということです。

自分が小学校から高等学校まで受けてきた保健体育の性教育は、

「若年性妊娠を予防するための避妊教育」

でしかなかったんだと気が付いたから。

性について、遠慮もきれいごともなく正直に伝えられる大人ってとっても限られるんです。

なぜか?

性=プライベート、隠すものっていう、暗黙の了解が何故か成り立っているから。

そして、性欲を逆手に取った射精産業ビジネスのせいで、

性に対して、ネガティヴな思いを持つ社会になってしまったから。

 

9/30のワークショップでも、ご説明しますけれど

性は生きることそのもの

なので、性をネガティヴに扱うことは、生きること自体を否定することになるんです。

おおげさじゃなく、マジに。

詳しくは、ワークショップにてじっくりお伝えします。

https://rainbow-sexology.com/workshop-info001/

もちろん、えらそーにこんなこと書いている私も

性って汚い&苦手

そう思っていましたし、

その苦手で汚い部分を自分の一部としていることを

勝手に申し訳なく卑屈に思っていました。

誰かに「お前なんて汚ねーヤツ」なんて言われてもいないのにね(笑)

 

性が苦手になる女性は産後に多い

女性が、性行為を苦手になるタイミングっていろいろあるんですが、

その多くが出産後なんじゃないかな?って感じるのが、

目の前の命を大事にしたいって母性本能と

旦那さんからのささいな一言だったりするんじゃないかと思うんです。

だってね、いきなり80歳まで老けて、心身ともに「もう無理!」くらいになって

そのさなかに、「俺、そろそろ限界で」みたいなアプローチされたときに

「ごめん、マジ勘弁して。今は死ぬ、」って言える夫婦ってどのくらいいるんだろうか?って正直本気で思うんです。

男性の肉体的生理活動や性欲の事も多少理解しているからこそ、

女性のメンタルと肉体が理想とする性愛と

男性のそれが、残念ながら真逆に近い事実がある。

でも、それについては、だれも教えてくれず、ドラマや映画、漫画などの偏った情報を事実として覚えざるを得ない状況が、

「若年性妊娠を予防する避妊奨励教育」を強化せざるを得ない原因になっていると思うんです。

性教育の最初から、最後まで、徹底して一貫しているのは

「10代で妊娠すると、社会のレールから外れてしまう」という事実を強調していること。

性行為は、命をつなぐ大事なコミュニケーションです。

ありのままの自分をさらけ出せる相手とだからこそ、至福で快楽な行為になる。

でも、肉体の快感だけを誇張し、興味をあおる情報が多くて、そっちにばかりつい目や耳が反応してしまう。

おもに、射精の道具としての男性向け性コンテンツですね。

全部が全部とは言わないけれども、現実から大きくかけ離れたものも多い。

男性には、痛みを感じる行為にはおもえないだろうけれど、

女性には、行為に慣れるまで、痛みが先になる行為なのも性行為の現実。

性行為も痛い、月経も痛い。

性にネガティブになる要素が女性側には多いのも、10代から既に起きている肉体の生理。

そして、社会に出れば、「女は結婚して辞めるから」みたいな目で未だに見る風潮もあるし、

「働き続けるには、妊娠してはダメ」と勘違いさせるような態度を会社や上司からされて、

30歳ぐらいになって、「そろそろ結婚しなくちゃ、白い目で見られる」と慌てて結婚して、妊活してもね、

10代初めからずーっと妊娠に否定的な情報を受け取ってて、10年20年後に180度転身して、妊娠肯定しても無理がある

ってことを、学校教育や行政は本当に、問題視した方がいいと思う。

あ、そもそも、学校教育は「生産性」よりも「従順性」を教育する場でしたね。

月経=ツライ、いやなもの的な扱いをしているうちは、

心の準備が整わないから、どんだけお金をかけても妊娠しにくいし、

仮に妊娠出産しても、性を肯定できないとセックスレスや性嫌悪の予備軍になるだけなのになぁ、と思うんです。

セクソロジーは性を科学的にみつめること

私がお伝えしたいのは、ハウツーものではなくて、

身体のなかで起きている、解剖生理学的な部分と

目に見えない心の領域で私たちが生まれもっている個性としての性別があると

知った上で、性のことを考えてみて欲しいなということなんです。

非生産性な生き方を選んだ私だからこそ、

ヒトという動物がとても素晴らしく、未熟な生き物であることをありのままお伝えできるのではないかと自負する訳です。

私たち、ヒトという生き物は、心という目に見えないけれどもとても重要な感覚を持って生きています。

その心が感じるものが、さまざまなものを生み出し、私たちの歴史や日常をより豊かにしています。

性は、そのおおもとになること。

 

自分自身を生きていくうえで、一番大事なことです。

 

だからこそ、

生涯、学び続けることじゃないかなと思うのです。

 

Much Love Always with You.

 

にじの青

BLと言う双方向性自己投影ツール

二次創作を読み続けて食傷気味。

何を隠そう、私はPixivの愛読者である。

Pixivというのは、もともとイラスト主体の二次創作SNSだったのだけど、

小説も投稿できるということで、

世の二次創作スキーさんたちの性的願望や性的志向をフィールドワークするには、

これ以上ないサンプルが詰まっていると実感するのだけども、

最近、いろいろ読みつくしてきたせいか、

二次創作、特にBLの双方向性自己投影にだいぶ飽きてきたので、

BLについて、モノ申してみる。

できれば、「BLという自己投影」というテーマで一冊本を出したいという野望があるので、

その野望実現のためにも、

日ごろ感じているBLワールドに皆が期待しすぎて、現実がより生きづらくなっている状況を

まとめてみる。

BLというファンタジーワールドの罠

今更だけど、BLはボーイズラブの略語である。

で、BLが何故あるカテゴリーの女子を虜にするのかというと、
「一粒で二度美味しいファンタジーワールド」だからである。

どこが、アーモンドグリコ的二度美味しい部分なのかというと

  • 自分の好きなキャラクターに、自分の理想の彼氏を演じさせることができる。
  • 自分がこういうリアクションをしたいと思う言動を、同じ作品内のキャラクターに演じさせることができる。

でもこれ、ハマるとどうにも抜けられない罠。

だって、自分の妄想を一人二役で、繰り広げて満足してしまうと
現実とのギャップがあまりにも有り過ぎる。

それは、コミュ障じゃなくても、恋愛偏差値下がるだけです。(キッパリ)

女体化する意味

二次創作をいろいろ読むと、最近多いのが

BLなのに、女体化するという禁じ手である。

どういうことかというと、もともとの原作での性別はそれぞれ男性なのに、

受け手役、つまりネコ役を女性にしてしまうのである。

どーだ、驚いたか。普段二次創作を読まない人々よ。

確かに、設定としては、原作とかけ離れすぎて、別作品として面白い場合もある。

でも、裏を返すと、双方向性自己投影としてのBLだからこそ、

受けを女体化さえることで、より自分の理想の分身をゆだねられるのではないかなと思う。

みんな結局、結婚して子供が生みたいのか?

女体化すると、当然のように、

結婚、妊娠、出産、幸せ家族というまさに絵にかいた餅のようなストーリー展開になっていく。

あれれ~?おかし~ぞ~?

BLって、
「お前が男でも女でもどっちだっていい。俺はお前が好きなんだ」

この圧倒的な「お前じゃなきゃダメだ!」=他者承認欲求の塊を満たすツールだったのに。
「愛の前には、性別なんて小さなこと。愛は尊い。」

そんなパンセクシャル的「唯一無二の運命」前提が、BLの王道だったのに。

非生産性の極み、ご都合主義でしかない

快楽だけを追い求められる性行為を延々繰り返せるのがBLの特性なのに。

右側(カップル名表記でネコ役が右側というのは、BLのルール)が女体化して

一夜の過ちだろうがなんだろうが、致してその後、まさかの。。。という展開って

ただのレディースコミックな展開だし、
「愛の前には、性別なんて小さなこと。愛は尊い。」

このお題目が、根底から覆されて
「紆余曲折したけれども、子はカスガイ」

という作品が増えるにつれて、
「ちゃんと結婚して、子供産まないと」

という呪いから逃げたいから、BLに逃げてきたのに

結局それが女の幸せだと洗脳されまくりなことに無自覚なのか、

憧れてるから、自分の理想をこれでもかと妄想できるのか

テレビの洗脳力って、ホントヤバいなぁとしみじみしてしまう。

みんな、恋愛したいし、結婚して子供産みたいんだろうか。

それが幸せのひとつの形だとは思うけれども、あなたにとっての幸せかどうか

1度振り返ってみても良いんじゃないかな。

女体化だけに飽き足らず、

男性妊娠、つまり男性のまま何故か出産してしまったりすると

本当に、何でもあり過ぎてファンタジー極まれりだと思う。

BLやハーレクインは、女性向けアダルトコンテンツ的役割

竹宮恵子産のBL名作、「風と木の詩」で

美少年同士の性行為に背徳と美しさを感じた人にとって、

リアルの肉体がぶつかり合う性行為の良さって、どこにあるのだろう?

性行為の良さって、体温をお互いに分け合って交じり合わせる

究極のコミュニケーションであることだと思う。

だから、性愛と表現するのだし、

特別な相手とだからこそ、癒しになったり、身体の活性化になる行為にもなる。

文章でなく、漫画やイラストでBL書く人たちって、

男性が理想の女体を描くように、理想の肉体美や男性器の形状を絵にしているのだろうか?

射精道具でしかないアダルト動画は、

BLの根本的テーマである「世界にたった一人の私を徹底的に愛する妄想」と

全くかみ合わないから、

「エロが苦手ですが頑張って書きました」という作品の多くが

「アダルト女優さんのセリフをコピーした状態」で、

濡れ場を鬼スルーしてしまう羽目になることが本当に多い。

皆さん、そういうセリフを言わされたいのかもしれないけれど。

言葉以外の方法で会話するのが、性行為なのになと思う。

セクソロジーで性教育を

現実の話、構造上出す穴でしかない肛門や直腸には

膣のように潤滑液を分泌する便利な機能はついていない。

女性器の処女と、後ろの処女、

どちらが身体に負担が少なくて、快楽を得やすいかと言えば

間違いなく、前者。

そのくらい肛門って、繊細な場所だから

粗雑に性器化しないでくださいね。

無理して、病院に入院するようなこともあるのだから。

妄想の世界と現実を一緒にするなと言われるだろうけれども、

セクソロジーを性教育の主軸にできる日が早く来ればいいと思う。

そうすれば必要以上に、性行為を恐れることも

異性を極端に苦手と思うことも無くなっていくはず。

双方向性自己投影よりぶつかり稽古を

今までいろんな人とパートナーとして過ごしてきたけれども、

自分だけのスパダリってのは、

自分が意思表示して相手と一緒に過ごしていくうちに育てていくものだと思う。

月並みながら、自分を愛さなければ、

自分の欲しい種類の愛情は受け取れないのだ。

面白いことに。

自分を愛するということは、

ご都合主義の自己投影の世界に生きることではない。

ましてや、誰かの描いた幸せの雛型をそのまま疑いもせず生きることでもない。

あなたの幸せは、あなたが心の底から喜ぶことで成り立つ。

そこには一人二役での閉じた自己満足より、

痛みを感じながらも、

外界との交流のなかで得られた

小さな他者承認の方が

ひょっとすると心の中に光りを与えてくれるかも知れない。

Much Love Always with You

にじの青

何故、オリンピックは男女平等にならないのか?

毎回、オリンピックの時に思うこと

オリンピックって、男女混合の種目は無い。

男性、女性それぞれの肉体的性別で競技が行われるし、種目も違う。

それが普通だと思う人に、ちょっと考えてもらいたいこと。

毎回本人のあずかり知れない部分で起きる残念なこと

セックスチェックと言う検査。

この検査は、ある意味ドーピング検査以上に残酷で残念な検査だと私は思う。

そして、このセックスチェックによって、

これまで積み上げた努力を「無かったこと」にされてしまうのは、女性がほとんどである。

外見的な性別と染色体の性別

この記事にも書いたのだけど、

http://rainbow-sexology.com/20180802/

いっそのこと、ジェンダーフリーというジャンルを設けてもいい時代なのじゃないかな?とおもうのが

セックスチェックによる、女性選手の参加資格はく奪である。

男性選手では、セックスチェックでの参加資格はく奪は起きない。

なぜか?

それは、染色体異常による半陰陽体質の選手が少なからずいるという現実である。

私たちの肉体は、それぞれに男性的な要素、女性的な要素を

染色体と性ホルモンによって特徴づけられる。

たとえば、

私個人の話で行くと、私は男性ホルモンの分泌がワリと多いほうなので

ヒゲやスネ毛が生まれつき濃い。もちろん、女性としては、であるけれど。

ヒゲについては、まばらにポツンポツンと生えるので

こまめに抜くなり、剃るなりしないと非常に残念な状況になる。

 

体毛って、男性ホルモンの領域で、

毛髪は、女性ホルモンの領域。

 

人間って、8割を視覚からの情報で判断するから

外見で性別を区別しやすいように、

服装の形や髪形、肉体そのものの形状など

人類の歴史は文化の発展と主に、様々な工夫がされている。

 

本人も知らない染色体異常という罠

で、話をもどすけど

 

オリンピック選手になる女性のうち、

陸上競技などの筋肉量や筋肉のバネが重要な種目では

華奢な男性よりも、たくましい筋肉を身に着ける女性選手がいたりする。

もちろん、日々トレーニングをしていると当たり前なのだけれども、

そういう女性選手のうち、染色体がXY、

つまり遺伝子的に男性なのに外見上は女性というケースが起きる。

それも、オリンピック直前になって、

「お前は実は男だから、女性としてオリンピックには参加出来ない」

ってセックスチェックの結果をもとに、バッサリ切り捨てられるのである。

 

それ、いくら何でも酷すぎませんかね?

 

染色体の存在を知るまでは、肉体の性別は外見的特徴でしか判断出来なかったけれど、

医療科学の進化で、長年の努力が本人の意図とはまったくかけ離れた部分で一瞬にしてなかったことにされてしまうのは、

「参加することに意義がある」にちょっと準じていないように思う。

 

ジェンダーフリーな種目

かと言って、じゃあどの種目を男女混合にできるのかというと

格闘技などの肉体接触が多い種目以外は、

わりと全部可能なんじゃないかと思う。

 

そもそも、男女別にするメリットはあるのか?

もし、男女の性別差による運動能力という部分を加味しているのなら

パラリンピックとオリンピックを分ける意味合いも、本来無くなるかもしれない。

 

私は、趣味でロードバイクに乗るのだけど、

初めて参加した出雲路センチュリーライドで

片足一本でスイスイとバイクを乗りこなすベテラン参加者さんを見て、

ただただ尊敬しかできなかった体験がある。

 

女性に負けるのは、恥なのか?

ちょっと語弊があるかもしれないけど、

敢えて書いてみる。

女性のほうがか弱く、男性と同等に扱うなんて雅じゃない。

という部分は、ある意味幻想だと思う。

 

もちろん、筋肉の付き方や体格などの個人差はあるけれど

男性のほうが、痛みに弱かったりするように

女性の強さという部分をずっと見ないように美化してきた背景は少しあるのではないかと思う。

男性のほうが、身体能力が優れていると言う自負。

プライドの部分。

 

それは、確かに男性としての重要なアイデンティティかもしれないけれども、

本当に、相手の能力を尊重しあうスポーツの祭典なのであれば、

男女混合で行う競技があってもよいと思う。

 

少なくとも、TEという、第三の性を表す一人称が英語で発生しているように、

トランスジェンダーのスポーツ競技者もこれから増えていくはず。

 

オリンピックは、戦争の代わりに始まった

ギリシャのポリスと呼ばれる都市国家同士の代理戦争だから、

私がここで書いているような、

スポーツを愛し、スポーツに愛されている人たちだけの祭典ではないのかもしれないけれど、

 

ドーピングや人為的な不正ではなくて、

遺伝子上の理由という、本人には何の責任もない事実ひとつで

ずっとずっとずっとずっとずっと頑張ってきたことを否定されるような現実は

規格外であることを暗に認めないというメッセージみたいで

 

早く、そういうやり場のない挫折を一部の選手に感じさせられるような行為がなくなり、

多くの選手がより平等な状態で、オリンピックへ参加できるシステムに移行していけばよいと思っている。

 

Much Love Always with YOU

にじの青

ジェンダーについて ~ネイティヴアメリカン 5つの性別 ~

こんばんは、にじの青です。

ですます調のほうが、しっくりくるので

今後はですます調で統一しようと思います。

 

ネイティヴアメリカンのジェンダー観

今朝のことですが、

偶然にこちらの記事を見つけました。

https://newspicks.com/news/2497174/

ネイティヴアメリカン、つまりインディアンと呼ばれる北米大陸の先住民族たちの間には、

肉体的な性別だけではない、「ジェンダーフリー」という感覚が当たり前だったということ。

 

「ネイティブアメリカン ジェンダー」でグーグル先生に教えを請うと、

こちらの記事もヒットしましたので、あわせてご紹介させていただきます。

https://voguegirl.jp/love/body/20160526/non-binary-gender/

 

 

ジェンダーって、なんぞ?

記事の内容に触れる前に、説明しておかないといけないこと。

 

はい、「ジェンダー」という単語です。

 

当然、英語。

gender と表記します。

 

ジェンダー

生物学的性差と区別した、社会的文化的に作られる性別、性差のことをいう。

それら性別、性差に関する様々な文化や知識一般を指し示すこともある。

ジョン・マネーは『性の署名』(1975)で半陰陽の患者の臨床研究により、

必ずしもジェンダーが生物学的性別に基づいて出来上がるわけではないことを明らかにし、

60年代後半に始まる先進国における第2派フェミニズムに影響を与えた。

このジェンダーという言葉には、女性や男性の社会的役割や性格などの特性が社会的に形成されたものであり、

変革が可能であるという含意がある。ジェンダー研究の進展によって、

家族・政治・軍隊などこれまで自明とされてきた事柄へのジェンダーの関与が明らかになり、

ジェンダーを男女という2つの項目と捉えるのではなく、

2つの区分を作り上げる力学であるとする見方が現れてきた。

特に80年代以降、この考えに基づき、生物学的な性差と考えられてきた身体や、

同性愛のようなセクシュアリティーがいかに社会的に構築されているかを分析するようになった。

~ コトバンクから引用 知恵蔵より(野口勝三 京都精華大学助教授 / 2007年)の解説文

 

つまり、肉体的な特徴による性の区分けではなく、

ひとつの集団の中での行動や役割といった、誰もが納得する社会的な人格を持った性別

ジェンダーと呼ぶわけです。

 

わかりやすく言うなら、

タレントのはるな愛さんや、マツコデラックスさん、メークアップアーティストのIKKOさんは

TVに出演している人のジェンダーとしては、同じグループに属しているんです。

 

どういうジェンダーかというと、

生まれつきの肉体は男性なのに、女性の格好や口調で活動している、というジェンダーです。

 

厳密に言うと、三人とも、セクシャリティはおそらく微妙に違うと思われるのですが、

そこはプライベートな部分ですので、追求は避けたいと思います。

この記事の本題には、あまり関係ない部分ですしね。

 

二つの精神をもつジェンダー

英語が得意な人にだけ、以下のリンク先をおすすめしますが、

https://iheartintelligence.com/2017/09/11/americans-celebrated-five-genders/

この英文記事では、5つのジェンダーがネイティブアメリカンの社会には存在していたと書かれています。

 

  1. male 男性
  2. female 女性
  3. two spirit male 二つの精神を持つ男性
  4. two spirit female 二つの精神をもつ女性
  5. trangender  肉体と精神の性が別である存在

3.4.の「二つの精神」というのは、

一人の肉体の中に、男性性と女性性が同時に存在している、

つまり男でもあり女でもあるということです。

 

もともとは、両方の性を兼ね備えている

これは、数値化できない部分の話ですが、

もともと、人間の肉体には両方の性ホルモンが存在しています。

受精卵が、細胞分裂を繰り返して、胎児へと成長していく中で

ベースになっているのは、雌体です。

もちろん、受精の時点で、23番目の染色体がどちらになるかは決まっていますが、

最初に形成される外性器、つまりおまたの部分は、

妊娠第10週以降に染色体がXY、つまり牡体であれば

女性器の形から、男性器へと変形していくのです。

 

身体は男でも、社会的には女性として存在する

ネイティヴアメリカンの文化では、

二つの精神を持つ存在は、特別な存在として、

シャーマンやメディスンマンといった、宗教的な役割や医者としての役割を持つ人が多かったようです。

 

宇宙や自然の一部であるという、Great Spirit という彼らの考え方には、

肉体という器にとらわれすぎない、おおらかな視点があったのだと思います。

 

むしろ、男性性と女性性を両方兼ね備えているということは、

宇宙の真理に近いということで、

特別視されていたのでしょう。

 

すべての生物は、雌体の子宮から誕生するという、女性原理を正しく理解しているからこそ、

肉体は男性でも、社会的に女性であろうとした人たちも、もしかしたらいたかもしれません。

 

私が、このレインボーセクソロジーの軸として研究し続けている、オーラソーマの色彩学でも

オリーブグリーンには、フェミニンリーダーシップというキーワードが込められています。

 

野山とともに生活をし、草木からの恵みを大事にして、部族を健やかに保つには、

女性性特有の慈愛や母性というジェンダーが不可欠だったのではないでしょうか。

 

ジェンダーフリーの時代へ

LGBTという言葉も、すっかり定着し、

男と女の二極化しかなかった時代から、ここ数年、随分変化が感じられます。

みずがめ座の時代に入り、

ますます、ジェンダーレス、ジェンダーフリーな社会へと

皆さんの意識も徐々に変化していくことでしょう。

 

もちろん、先日、ネット上で物議をかもした「生産性」という観点では、

国や行政として、LGBTやセクシャルマイノリティの人口が増えることは、

いろいろと管理体制上のイレギュラーになるため、諸手を挙げて歓迎できることではないかもしれません。

 

時代というものも、また、生き物です。

 

宇宙のなかの存在として、人類を考えるなら、

女性原理であるということに立ち戻ると、

ジェンダーフリーなほうが理にかなっている部分が多いですし、

 

遺伝子学や解剖生理学といった部分でも、女性原理な点は今後さらに発見されていくと思います。

 

どちらがかけても、新しい命は存在しませんし、

肉体にとらわれすぎることも、また、精神面に特化しすぎることも、

自然の摂理に沿う生き方ではありません。

 

あるがままの自分を認める。

ジェンダーとは、そういうことです。

 

私たちは、それぞれに個性を持って存在しています。

それだけで、とても素晴らしい事なのです。

 

ご自分のジェンダーを知り、周りの人のジェンダーを受け入れる。

 

そういうジェンダー教育が、世の中をよりよい方向へと動かしていく一つのきっかけになると

私は、信じています。

 

 

にじの 青

 

セクシャリティって何?

こんにちは、にじの青です。

セクシャリティって、よく耳にしたり、目にする機会が増えたと思うんですが、

ぶっちゃけ、それって何?

って皆さん、毎回思ってませんかね?

セクシャリティって何語?

まず、セクシャリティって単語の意味ですが

グーグル先生に尋ねると、いろんな答えが返ってきました。

そもそも、セクシャリティ=sexuality

英語なわけです。外来語なわけです。

ということで、コトバンクさんから転用します。

プログレッシブ英和中辞典(第4版)の解説を引用させていただくと、

https://kotobank.jp/ejword/sexuality
sexuality

[名][U]
1 性;性的特質;性的能力.
2 性に対する関心;性表現;性能力.
と記されています。名詞らしいです。
ちなみに、皆さん
セックスって意味、調べたことありますか?
同じくコトバンクから、プログレッシブ英和中辞典(第4版)の解説を引用すると、

sex

名]
1 [U]セックス, 性交
2 [U][C]性, 性別, 男女[雌雄]の別
3 ((the ~))((集合的))((形容詞を伴って))男性, 女性
  • the stronger [the male, the sterner] sex 男性
  • the gentle [the female, the fair, the softer, the weaker] sex 女性
 (注▼男女についての伝統的な表現で, 現在では避けられる).
4 [U](男女の)性徴;性行動;性的本能, 性欲.
5 性器, 外陰部.
━━[形]性の, 性による
━━[動](他)…の性別を見分ける, 雌雄を鑑別する.
[ラテン語sexus (secāre分ける+-tus過去分詞語尾=分けられること). △SECTION
もともと、ラテン語の分けるという意味のセクァレトゥスから派生して、
「区別する」
という意味から、
「交尾する」
へと進化したようですね。

セクシャリティって誰が使うの?

今このブログを読んでる人のなかで、

セクシャリティって言葉を使ったことある人は、

どのくらいいるんでしょう?

そもそも、誰が使うのか?

私は、セクシャルマイノリティなので、

身の回りの人たちよりも、セクシャリティという表現を多く使う方だと思います。

セクシャリティという表現

セクシャリティという単語を表立って使ったのは、

もうずいぶん過去になりますが、元俳優の成宮寛貴さんじゃないでしょうか。

彼は、直筆の引退声明文に「セクシャリティ」という単語を使っています。

それまで、セクシャリティという単語を使って、芸能人がメッセージを発信することはなかったように思います。
セクシャリティという言葉を使うのは、
とてもプライベートな部分について会話したり、
議論研究する場合が多いと思います。
だからこそ、成宮さんは敢えて「セクシャリティ」という単語を選んだのだろうと思います。

私の場合

私が「セクシャリティ」という表現を会話に使うのは、
性に関するある特定の志向や行動パターンなどについて、第三者へ説明するときや、
肉体の性別を超えた、心の性別に特化したグループ分けをするときが多いです。
そのことが特別だとも思いませんが、当たり前だとも思いません。
また、「セクシャリティ」という言葉を流行らそうとも思いません。
性についての価値観を変えたら、
「セクシャリティ」という表現に込められたいろんな思いが見えてくるはずだからです。

セクシャリティって、結局何?

で、
結局、
セクシャリティって何なんだよ?????
と思われた人へ。
英和辞典の引用にもありましたが、
セクシャリティとは、ありとあらゆる性的特徴や性的能力を指します。
性的な特徴と聞いて、何を一番に思い浮かべるか?
性的な能力と聞いて、どんな行動や行為を思い浮かべるか?
まず、そこから、「セクシャリティ」の多様性が生まれます。
female sexuality
女性らしいセクシャリティ、と表現すれば
あなたにとって「女性らしい」と思う特徴や能力を、
mannish sexuality
男性らしいセクシャリティ、と表現すれば、
あなたにとって「男性らしい」と思う特徴や能力を思い浮かべるでしょう。
その答えは、10人10通りあるのです。
肉体的な部位を挙げる人もいれば、行動パターンや志向をあげる人
さまざまだと思います。

セクシャリティは、人の数だけある

セクシャリティは、極論でいくと人それぞれ違うものです。

肉体には、染色体によって大きく2つの区分しかありませんが、

セクシャリティは、その人の持つ価値観と性に関する嗜好によって区分されます。

ヘテロセクシャル、ホモセクシャルという二つのセクシャリティにも

個人個人で見ていくと、同じホモセクシャルであっても、

ゲイ(男性×男性)とレズ(女性×女性)では志向も行動パターンも違うし、

ゲイだからといって、みなが皆、オネエ言葉でしゃべるわけでも、筋肉ムキムキなわけでもありませんし、

レズだからといって性転換手術をしてたり、男装し続けるわけでもありません。

自分のセクシャリティを無自覚のまま、社会や常識を優先してしまう場合もあります。

セクシャリティという表現にとらわれないことは、とても自然なことだと思います。

自分を認めることの一つに、自分のセクシャリティを認めることがあります。

空気と同じように、ただそこにある。

ただ、自分はこうだ。

セクシャリティは他人と比較したり、また他人から干渉されるものではありません。

あなたを表現する個性の一つ。

それが、あなたのセクシャリティです。

にじの青

身体の性別と心の性別

身体と心の性別は、必ずしも一致しない。

にじの青です。

今日は、ですます調ではなく、口語で。

世のヘテロな人には、イマイチ理解し図らいのが、

トランスジェンダーというセクシャリティだと思う。

身体が男だから、心も男だろーが、何寝言言ってんだ、てやんでぃ

という江戸っ子なヘテロセクシャル親父に、物申す。

身体、つまり肉体の性別は遺伝子的なものなので、

心まで同じ性別とは限らねーんだ、てやんでぃ。

もうひとつ付け加えるならば、

魂にも性別があるんだぜ、どーだ驚いたか。

ちょっとふざけた文章になったけれども、

私は真剣に、人間には三つの性別があると理解している。

というか、そう考えるほうが自然なのである。

三つの性別についての個人的見解

私たちはみな、三つの性別を持っている。

ひとつは肉体の性別。ふたつめは、心の性別。そして、みっつめが魂の性別。

遺伝子が持つ XX と XY  2種類の肉体の性別。

私たちの命は、肉体という器があるから、生きているし、動ける。

生き物という観点で見ると、命の目的は、遺伝子のリレー。

つまり、子孫を残すという目的を持っている。

子孫を残す生殖活動には、オスとメスが何故か必要になっている。

人間の場合、23番目の染色体が XX だと雌。

XY だと雄。

だから、50:50の確立でどちらかのタイプの染色体を持って生まれてくる。

オリンピックなどでいつも物議をかもす性別検査は、この染色体のタイプを調べるもの。

とはいえども、イレギュラーという場合も起きるから話がややこしいのだけど、

ごくごくまれに、XY 染色体なのに、XX の外見的特性が強く残っているケースが起きる。

強く残っているという書き方をするのは、

私個人の考えとして、ヒトという生き物の原型は、XX 染色体だという前提があるから。

ここについては、また別で詳しく掘り下げたいと思うので、またの機会に。

人間だけが持つ心の性別

肉体と心の性別は必ずしも同じではない。

その代表者が、トランスジェンダーと呼ばれる
肉体と心の性別が相反する人たち。

過去、私がずーっと悩んできた部分がここ。

同性愛の人たちも、性愛の対象という部分だけで言えば、心と肉体の性別が違うケースだけど、

まだ、心の性別としては判断しやすいセクシャリティだと思う。

このひとつの要因には、

染色体とともに、私たちの肉体を維持していくのに必要な性徴ホルモンがあると思う。

性徴ホルモンというのは、身体のいろんな機能を働かせるために必要なので、

染色体がどちらであっても、男性ホルモン女性ホルモンの両方が分泌されている。

たとえば、筋肉を作ったりするホルモンは、男性ホルモンのテストステロンだし

安心や癒しを感じるホルモンは、女性ホルモンのオキシトシンだったりする。

それぞれのホルモンが分泌されることで、

感情が左右されることも事実だし、関係は多少あるだろうけれども

トランスジェンダーのひとたちがどちらかのホルモン分泌によって、

ご自分のセクシャリティまで逆転するとは正直思えない。

ただ、何故、そういうセクシャリティのひとが実際に結構な人口で存在しているのかは

ヘテロセクシャルの人には、どう説明しても共感しにくい部分だと思うけれど、

理屈では説明しにくいのだよね。

だって、心のことは、数値や目視化できないから。

身体と心、それぞれに性別があるということは、

ヒトがとても繊細な感性を持っているからこそ、起きること。

肉体の器には、染色体が2パターンしかないけれど、

心の部分は、完全に10:0というケースは少ないと思う。

それは、ホルモンという分泌物だけでなく、

大脳の癖によって、右脳的、左脳的などの特性があるから。

左脳は、言語野で理論的だから男性脳。

右脳は、感性や直感的で女性脳。

一応、そのようにいわれているけれども、

大脳の働きも、未だに大枠しか判っていないし、

右脳と左脳の特性がもっと詳しくわかると、心の性別についてもう少し詳しく言及できるかもしれない。

だって、女性のほうがよくしゃべるから、言語野を使うはずだし、

空間認識力が高いのは、男性だったりする。

そういう部分を見ていくと、人体というハードウェアに入っている脳というソフトウェアは

本当に白黒判断できるような単純なものではなく、複雑で繊細なものだと思う。

ここについても、もう少し、いろいろ研究して再度まとめてみたい。

魂の性別=エネルギー体としての命

ここから先は、さらっと読んでもらえればいい。

魂や宇宙について学ばれた人はご存知かもしれない。

次元が上昇していくと性別にとらわれないエネルギー体になっていく。

エネルギーってことは、物質としての生殖活動を必要としないから、

どちらかの性に特化する必要が無くなる。

つまり、魂は両性具有、もしくはどちらにも属さない中性なもの。

ただし、個性としては、男性性と女性性の比率が若干あるかも。

そこも含めて、両性具有で中性的なのが魂。

色も両性具有で、中性。

それは、色は波動でエネルギーを発している光であり、音でもある。

だから、色は魂そのものと考えることができる。

最後に

魂の性別は、ともかくとして

肉体の性別と心の性別が違って当たり前。

その感覚をなんとなく、理解してもらえたらいいなと

最後に書いておく。

日本全国でも、1億人以上

地球上には、50億人以上の人間が存在しているのだから、

たった二種類の染色体による性別に分けきれるものではないのかもしれない。

そこに、先天的な脳の特性と生まれ育った環境で

心はどのようにでも変化する。

だから、どうかセクシャルマイノリティについて、

「そういうタイプの人もいるんだな」って理解していただければ嬉しい。

Much Love Always with You

にじの青