BLと言う双方向性自己投影ツール

二次創作を読み続けて食傷気味。

何を隠そう、私はPixivの愛読者である。

Pixivというのは、もともとイラスト主体の二次創作SNSだったのだけど、

小説も投稿できるということで、

世の二次創作スキーさんたちの性的願望や性的志向をフィールドワークするには、

これ以上ないサンプルが詰まっていると実感するのだけども、

最近、いろいろ読みつくしてきたせいか、

二次創作、特にBLの双方向性自己投影にだいぶ飽きてきたので、

BLについて、モノ申してみる。

できれば、「BLという自己投影」というテーマで一冊本を出したいという野望があるので、

その野望実現のためにも、

日ごろ感じているBLワールドに皆が期待しすぎて、現実がより生きづらくなっている状況を

まとめてみる。

BLというファンタジーワールドの罠

今更だけど、BLはボーイズラブの略語である。

で、BLが何故あるカテゴリーの女子を虜にするのかというと、
「一粒で二度美味しいファンタジーワールド」だからである。

どこが、アーモンドグリコ的二度美味しい部分なのかというと

  • 自分の好きなキャラクターに、自分の理想の彼氏を演じさせることができる。
  • 自分がこういうリアクションをしたいと思う言動を、同じ作品内のキャラクターに演じさせることができる。

でもこれ、ハマるとどうにも抜けられない罠。

だって、自分の妄想を一人二役で、繰り広げて満足してしまうと
現実とのギャップがあまりにも有り過ぎる。

それは、コミュ障じゃなくても、恋愛偏差値下がるだけです。(キッパリ)

女体化する意味

二次創作をいろいろ読むと、最近多いのが

BLなのに、女体化するという禁じ手である。

どういうことかというと、もともとの原作での性別はそれぞれ男性なのに、

受け手役、つまりネコ役を女性にしてしまうのである。

どーだ、驚いたか。普段二次創作を読まない人々よ。

確かに、設定としては、原作とかけ離れすぎて、別作品として面白い場合もある。

でも、裏を返すと、双方向性自己投影としてのBLだからこそ、

受けを女体化さえることで、より自分の理想の分身をゆだねられるのではないかなと思う。

みんな結局、結婚して子供が生みたいのか?

女体化すると、当然のように、

結婚、妊娠、出産、幸せ家族というまさに絵にかいた餅のようなストーリー展開になっていく。

あれれ~?おかし~ぞ~?

BLって、
「お前が男でも女でもどっちだっていい。俺はお前が好きなんだ」

この圧倒的な「お前じゃなきゃダメだ!」=他者承認欲求の塊を満たすツールだったのに。
「愛の前には、性別なんて小さなこと。愛は尊い。」

そんなパンセクシャル的「唯一無二の運命」前提が、BLの王道だったのに。

非生産性の極み、ご都合主義でしかない

快楽だけを追い求められる性行為を延々繰り返せるのがBLの特性なのに。

右側(カップル名表記でネコ役が右側というのは、BLのルール)が女体化して

一夜の過ちだろうがなんだろうが、致してその後、まさかの。。。という展開って

ただのレディースコミックな展開だし、
「愛の前には、性別なんて小さなこと。愛は尊い。」

このお題目が、根底から覆されて
「紆余曲折したけれども、子はカスガイ」

という作品が増えるにつれて、
「ちゃんと結婚して、子供産まないと」

という呪いから逃げたいから、BLに逃げてきたのに

結局それが女の幸せだと洗脳されまくりなことに無自覚なのか、

憧れてるから、自分の理想をこれでもかと妄想できるのか

テレビの洗脳力って、ホントヤバいなぁとしみじみしてしまう。

みんな、恋愛したいし、結婚して子供産みたいんだろうか。

それが幸せのひとつの形だとは思うけれども、あなたにとっての幸せかどうか

1度振り返ってみても良いんじゃないかな。

女体化だけに飽き足らず、

男性妊娠、つまり男性のまま何故か出産してしまったりすると

本当に、何でもあり過ぎてファンタジー極まれりだと思う。

BLやハーレクインは、女性向けアダルトコンテンツ的役割

竹宮恵子産のBL名作、「風と木の詩」で

美少年同士の性行為に背徳と美しさを感じた人にとって、

リアルの肉体がぶつかり合う性行為の良さって、どこにあるのだろう?

性行為の良さって、体温をお互いに分け合って交じり合わせる

究極のコミュニケーションであることだと思う。

だから、性愛と表現するのだし、

特別な相手とだからこそ、癒しになったり、身体の活性化になる行為にもなる。

文章でなく、漫画やイラストでBL書く人たちって、

男性が理想の女体を描くように、理想の肉体美や男性器の形状を絵にしているのだろうか?

射精道具でしかないアダルト動画は、

BLの根本的テーマである「世界にたった一人の私を徹底的に愛する妄想」と

全くかみ合わないから、

「エロが苦手ですが頑張って書きました」という作品の多くが

「アダルト女優さんのセリフをコピーした状態」で、

濡れ場を鬼スルーしてしまう羽目になることが本当に多い。

皆さん、そういうセリフを言わされたいのかもしれないけれど。

言葉以外の方法で会話するのが、性行為なのになと思う。

セクソロジーで性教育を

現実の話、構造上出す穴でしかない肛門や直腸には

膣のように潤滑液を分泌する便利な機能はついていない。

女性器の処女と、後ろの処女、

どちらが身体に負担が少なくて、快楽を得やすいかと言えば

間違いなく、前者。

そのくらい肛門って、繊細な場所だから

粗雑に性器化しないでくださいね。

無理して、病院に入院するようなこともあるのだから。

妄想の世界と現実を一緒にするなと言われるだろうけれども、

セクソロジーを性教育の主軸にできる日が早く来ればいいと思う。

そうすれば必要以上に、性行為を恐れることも

異性を極端に苦手と思うことも無くなっていくはず。

双方向性自己投影よりぶつかり稽古を

今までいろんな人とパートナーとして過ごしてきたけれども、

自分だけのスパダリってのは、

自分が意思表示して相手と一緒に過ごしていくうちに育てていくものだと思う。

月並みながら、自分を愛さなければ、

自分の欲しい種類の愛情は受け取れないのだ。

面白いことに。

自分を愛するということは、

ご都合主義の自己投影の世界に生きることではない。

ましてや、誰かの描いた幸せの雛型をそのまま疑いもせず生きることでもない。

あなたの幸せは、あなたが心の底から喜ぶことで成り立つ。

そこには一人二役での閉じた自己満足より、

痛みを感じながらも、

外界との交流のなかで得られた

小さな他者承認の方が

ひょっとすると心の中に光りを与えてくれるかも知れない。

Much Love Always with You

にじの青

投稿者:

NijinoAo

地方都市在住のニッチ過ぎるセクシャルマイノリティ。身体、メンタル、スピリチュアル系を色々独学してきたことを自分なりに取り纏めて行きます。