2023年も31日が経ち、2月に入りました。
暦は、明後日まで寅年。立春から癸卯が本格的に始まります。
変態エピソードが押し寄せた日
長年、フェティッシュな人たちと過ごしたり、人体の可能性やら感覚の振り幅が多岐に亘るという事実、現実を見てきたので、少々の事にはビクともしない表情筋と精神耐性があります。
ですが、
そんな私も、一旦、アンダーグラウンドを離れて、
『ごくごくフツーな人』
その皮を被り、のんべんだらりと過ごしていたのですが、そんなある日のこと。
久し振りなディープ過ぎるエピソードを二度も伺う羽目になりました。
「許せる」ボーダーラインは何処になるか
「ねぇねぇ、ちょっと訊いてみるんだけども」
尊敬する先輩である大切な友人から、思い余った口調で話しかけられたのは、友人の身近で起きた仰天事件でした。
ざっくりと説明すると、
- 仕事上で共同生活する寮で、異臭騒ぎが起きた
- ある人物が料理をすると異臭が発生すると分かる
- 調味料だと思っていたものが汚物だった
- しかもその人物は複数の異性と性的関係を持っていた
- 性的関係を持った人がある日を境にことごとくその人物を避けるようになった
- その人物が性的行為の際、相手へ排泄物を求めることが判明
- 異臭=汚物と裏が取れたので、その人物は強制退去
箇条書きにしても、めちゃくちゃパンチの効きまくった内容なのですが、
騒動を起こした人物に仕事を斡旋したのが、友人の身内だったので
「まさか、アイツもその気があったんでは?」
というモヤモヤを友人に抱かせてしまったようです。
「どこまで許せる?どこまでが受け入れられる?」
正直なところ、
共同生活する場で、汚物を調理に使うのは
鋼のメンタル
としか思えませんでしたし、逆に
どこを基準に『大丈夫だろう』と考えて調理したのか
そっちに興味関心が向きました。
多分、ここまで読んでくださった人のほとんどが
『汚物を調理って、食べるってこと!?』
と宇宙猫な顔つきになったと思います。
ぶっちゃけ、私は汚物を召し上がる趣味嗜好の人を何人も見てきたので、ソコに対しては
『そういう人もいる』
としか思いません。
ただ、友人の立場からすると、ものすごくモヤモヤするだろうし、「許せる」「許せない」の線引きに悩む事件だとは思います。
そして、めちゃくちゃパンチ有りすぎで話す相手を選ぶ話題を打ち明けてくれたことが、ものすごくありがたいと感じました。
下ネタは下ネタを呼ぶ
そんなパンチの効いた話をした日の深夜、再び下ネタの神は私を引き寄せました。
路地裏のどん詰まりにある店で飲んでいると、なにやら店主の様子がおかしいのです。
何だろうと思いつつ、しばらく様子を見ていると、入り口付近にいる常連の男性のお客さまに耳打ちをしました。耳打ちされたお客さまが立ち上がり、ドア越しに外を眺めて席に戻ってしばらくして、店主とその男性が声を揃えて一言。
『無いわー』
『女性という概念がぶち壊されたー』
その路地裏どん詰まりは、よく酔っぱらいの人が用を足しに現れるそうで、「立ちションする人」かどうかを見抜けるくらい店主にとっては、日常茶飯事らしいのですが
実は、様子がおかしかったのは
女性が用を足していた
という、これまた衝撃的な現実だったのです。そりゃあ、『女性の概念』をぶっ壊されても、致し方ありません。
ですが、
これまた、異臭汚物事件と同じく
「あー、我慢しきれなかったんだよね」
最近、コンビニのトイレを借りれないしな、と冷静に分析していたのでした。
変態を研究する人
そんな年単位で見てもディープ過ぎる排泄ネタに遭遇した翌日。
友人にこう勧められたのです。
『変態研究家になればいいじゃん』
今まで、
『性』というフレームを使って、行動や感情を紐解き、人生を解放するお手伝いをしたい
そう思う一方で
『性』というフレーム自体がハードル高い
という事実を味わって、どう見せたら伝わるのか?という具体化に捕らわれ過ぎて、身動きできなくなっていました。
でも
友人の指摘通り、『変態』という軸を中心にすると、螺旋と蜘蛛の巣を描くように、全てが繋がって見えたのです。
ということで
変態研究家として、散文を書き綴ることにしました。こちらから、どうぞ
これまで20年近く観察してきた上で、私なりの分析を言語化してみます。
ネタ探しにいろんな人と会話して、『変態』という言葉で一括りにされている様々な個性を掘り下げたり、
私自身の変態性を暴露してみます。
楽しみでワクワクする試み、暦の切り替えと共に始められる流れを作ってくれた
友人二人と巡り合わせてくれた全ての事象に感謝します。
やっぱり、宇宙の全てに愛されているのですね。人生という大きな流れの一部として、全てを受け入れ、認め、許し、愛していきます。
2023年も、どうぞ皆様、善き日々になりますように。
変態解放研究家 にじの青 拝