それ、本当に今、必要なの?

2020年から始まった、世界的なパンデミック騒動。
その中で、ずっとずっとずっとずぅぅぅぅぅぅっと言いたくてたまらなかったことがあります。

それは、「マスク」という存在についてです。

どうしてみんな、苦しくないの?

2020年から、いきなり日常アイテムに躍り出たマスク。
マスク難民という言葉が出来るくらい、2年前のこの時期はマスクが希少価値であったこと記憶に残ってらっしゃるでしょう。
当時、職業柄「マスクを身に付けないと、職場に行くことが出来ない」という友人に、我が家に余っていた不織布マスクをほんの10個ほどですが、届けに行ったことを思い出します。

「ありがとう!ホント助かる!これがないと職場へ出勤出来ないんだよね」

我が家の片隅で埃をかぶっていたマスクが、友人の出勤に左右するなんて。
そんなこと、本当に想定外でした。

そして、2020年4月。

当時の内閣総理大臣から、こんな政策が発表されました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200401/k10012362911000.html

「それ、何のためにするの?」

当時、本気でツッコミ入れました。でも、世間一般では、マスク景気というかマスクバブルが起きましたよね。手作りマスクを内職して販売した雑貨屋さんや小物作家さんも多いでしょうし、衣料品関係の世界的大企業も新商品開発で躍起になっていましたね。

https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/corp/press-release/2020/06/20061511_20ssmask.html

一時期、超貴重品として品薄だったマスク。
その後、マスクの値段はどんどんと下降して、今や素材もデザインも選び放題となっています。

そして、2年たった現在、こんな特集でも取り上げられています。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/covid19-money/post/index01.html

街中でも、至る所で誰かが落としたマスクが見かけられるようになりました。
朝の通勤時には、皆が同じ方向を向いて、マスクをして足早に歩いている。
SNSに上がる集合写真も、マスク着用がほとんど。

そんな光景も、おそらく見慣れたものになっているのでしょう。

でもね。

それに、どうしてもどうしても、私は見慣れられないのです。

「わー、異様な光景」

いつも信号待ちで、向かい側に待つ人たちの姿を見て、つい感じてしまうのです。

自家用車の運転席に一人で座っているのに、マスクしている人に至っては
余計なお世話ですが、よく運転に集中できるなと感心してしまいます。

マスクの役割について考える

私がこの2年ずっと、街中でマスクをしている人たちに違和感を感じる理由。
それは、大きく2つあります。

一つは、「呼吸が苦しくないか」

もう一つは「マスクが持つ精神的な影響を知っているのか」

呼吸については、既にこの2年の間にたくさんの警鐘記事が書かれていますので、医療関係者の書いた記事を読まれたらいいと思います。

特に、これから気温が上がり、湿度も高くなるうえで厚生労働省のマスク着用に関する考え方ももう一度、おさらいしておくとよいかと思います。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_coronanettyuu.html

個人的な感覚としてですが、私はマスクを長時間着用することが苦手です。ですから、どうしてもエチケットとして必要に差し迫られる状況以外は、出来るだけ着けずに生活しています。

マスクの何が心地良くないか。

そもそも、個人的な身体の感覚として、鼻と口を同時に覆われるという状況が不愉快です。
数分でも、息苦しさを感じます。
顔の皮膚の上に布などが付着するのも、素材によってはとても違和感があります。

私の価値基準として、

「自分の細胞が心地良い清潔な状態で常に過ごす」

という優先事項があります。
これは、マズローの5段階欲求説でいうところの、
「生理的欲求を満たす」ことがとても重要だと考えているからです。

なので、ここ2年選んでいるのは、竹布と久留米絣の天然繊維製のものです。
勿論、毎日手洗いして、清潔な状態のものをローテーションしています。

こういう情報もありますから、知られておくとよいかと思います。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/96073

マスクの持つ精神的な意味合いについて

2つ目の理由として、声を大にして言いたいのは

顔面の自由を奪われる=深層心理への影響がめちゃくちゃ大きい

という事実です。

たとえば、刑事ものなどのサスペンスドラマや映画などで、犯人役の人が人質を取るときにしている行動を思い出してください。

  • 後ろからそっと近づいて羽交い絞めして、捕まえる
  • 片手で人質の口をふさいで、警察と交渉しようとする

人体の構造上、肩から二の腕にかけての部分を鎖骨を覆うようにして固定すると、腕の上げ下げがとても難しくなります。足だけ自由でも、上半身が固定されてしまえば、その場から動けません。
そして、背後から顔の半分を固定されると、後ろにいる相手がどんな行動をしようとしているかも見て確認することが出来ませんし、大声を上げて助けを求めることも難しくなります。

他人の手であろうが、布だろうが、なんであれ
生き物は基本、口をふさがれることを嫌がる性質を持っています。

だからこそ、それを利用するのが、調教という行為です。

2020年にマスクがすんなりと受け入れられた背景に、あるキャラクターが少なからず影響しているのではないかと、私は考えています。

それは、アニメ化された漫画「鬼滅の刃」に登場する、主人公の妹です。

鬼になってしまった妹を人間に戻すために、鬼を狩るというヒーローズジャーニーですが、妹は鬼であることを隠し、力を封じるために、竹の口枷をはめています。

あれ?

ということは、鬼をわざわざ切り殺さなくても、竹の口枷をはめさせたらおとなしくできるんじゃね?

第一話を読み終えたときに、薄っすらとよぎった素朴な疑問でした。
狂犬病の犬とか、空腹の肉食獣って、口を縛ったぐらいじゃおとなしくはならないけど、これはストーリー上のご都合主義なんだろうか?

しかし、客観的に見れば「10代の女の子に口枷」って、倫理的にかなり微妙ですよね。
少年ジャンプって、一応小学校~高校生がターゲットのはず。

しかも、口を封じられたキャラクターが大手コンビニやスーパーなどの店頭で商品のパッケージに使われている。

まさか、いませんよね?

ジブリの監督に対して、作品に幼児性愛の要素があるとご意見される人たちの中に、「鬼滅の刃」が好きな人。映画を何度も見に行ったりされてませんよね?
女性の権利を、SDGsを、と活動されている会社や活動家さんたちのなかに、ご自分の子どもさんへ「鬼滅の刃」を見せたり、キャラクターグッズを買い与えている人。何なら自分が率先してキャンペーンに乗っかっている人。

ずいぶん前に、ある弁護士さんが少年ジャンプの連作作品に対して、

「女性キャラクターの服装が露出多すぎて、教育上問題がある」

とおっしゃっていましたが、同じ視点で行くと

「胸や腰を誇張した肌も露わな服装の女性キャラクター」
「あきらかに肉体的な拘束状態の女性キャラクター」

どちらも女性の尊厳に関わる案件なようにも見えますけれど、どうなのでしょうね。

社会を良くしたいと考える人は、たぶん、どんな時にもあらゆる角度から
「これは間違っている」
「だから世の中が悪くなる」
そう考えていらっしゃると思うので、いらぬ世話だと思いますけれども。

「鬼滅の刃」という作品は素晴らしいと思っています。ストーリー構成や登場人物の作りこみ、作画、いろんな意味で。作品としては、私も好きです。


ですが、作品の良さとキャラクターが世間に与える影響というものは別物です。

少なくとも、口を塞ぐ=相手の言動を封じる行為として、理解している私からすると、違和感しかない部分なのです。

そして、この作品の大ヒットとマスクが日常生活の一部になってしまったタイミングがあまりにも重なりすぎていて、偶然にしては出来すぎているなとも思えるのです。

マスクの歴史を紐解いてみる

人類の生活の中に、マスクが登場したのはいつでしょうか?

こちらでも詳しく紹介されていますね。

https://globe.asahi.com/article/14184149

マスクとは、英語で「仮面」という意味があります。
仮面というと、仮面舞踏会などのイメージからすれば、目元から鼻先を覆う感じですよね。

時代劇では、忍者のように、頭巾と覆面で目だけを出すのが一般的なイメージでしょうか。
イスラム教徒の女性も、チャドルという覆面をする文化があります。


そもそも、顔を覆う必要があるというのは、どういう時でしょうか?

  • 目や鼻に異物が入らないようにするため
  • 強い刺激臭を吸い込まないため
  • 顔を隠して身元を明かさないため
  • 宗教上の儀式で、神や人ではない存在を演じるため

病気に対して、感染を予防する目的で仮面を使用するきっかけは、ヨーロッパの歴史を見ればわかります。

17世紀に起きた黒死病と呼ばれた、ペストの大流行です。

スチームパンクと呼ばれる飛行船などの部品などをファッションに反映したスタイルがあります。そのスチームパンク愛好家が好むアイテムの一つに、ペスチザンマスクと呼ばれるマスクがあります。
ペスト医師用マスクという名の通り、17世紀のペスト大流行時に医師が感染予防のためにしていた、サングラス付きの嘴型をしたマスクです。嘴型をしているのは、中に消毒効果のある薬草を詰め込んでいたためと言われています。

顔を隠すという文化

人類の歴史を振り返るに、病気予防という衛生上の理由よりも、別の理由から仮面やマスクは使用されてきているように見えます。

日本でも、能や神楽などでは、面を使い分けることで登場人物の喜怒哀楽を演じわけたり、身分の高い人ほど、人前では顔を隠す文化があります。

何故、身分の高い人は顔を隠す文化があったのか。

一つは、その方がより付加価値が演出できるからです。
人間の心理として、「隠されているものを確かめたい」という好奇心もありますし、
そう簡単に素顔を見せない存在、というだけで、そう簡単にお目にかかれるほど身近な存在ではないという無言の圧が出せるからです。

しかし、その文化も徐々に変わっていきます。

五感で最も情報をたくさん受け取れるもの

NLPという神経言語プログラムを知っている人にはおなじみですが、
人間には、大きく3タイプの情報収集癖があります。

  1. 目から入ってくる情報が最優先な人
  2. 耳から入ってくる情報が最優先な人
  3. 身体に直接触れることで入ってくる情報が最優先な人

SNSという文化を見ればよくわかりますが、結局、動画や画像を使うSNSを多くの人が利用しているという事実から、「目から入ってくる情報」に価値を大きく感じる人の割合が人類のほとんどだと推定できるということです。

写真を撮るという、今の世の中でとても当たり前で、誰でも出来てしまうこと。
これは、いったいいつから始まったのでしょう?

なんとたった150年ほどの歴史しかないのです。携帯電話で写真を撮って送る、今となっては当たり前のことだって、20年前には当たり前ではありませんでした。

写真の前、何を使って人類は情報を記録して発信していたか?
それは、絵や図形でした。それらは、簡素化されて文字となり、より詳しく一目でわかるように、細かく書き写された絵というものが人気でした。

ですから、歴史の教科書に載っている、戦国武将も天皇も、1800年代から昔の人たちは似顔絵でしか残っていません。

何故、人間は「目から入ってくる情報」を大事にするのか?

それはもちろん、「生き残るため」です。
生き残るために、生まれて数か月した多くの赤ちゃんは、耳から聞こえてくる音や肌で感じる外の世界の様子よりも、目で見ているものから世界を知ろうとし始めます。

だから、「言葉を話す」ことを始めるのがだいたい1歳過ぎてからなのです。あー、うーという発声練習で、声帯の使い方を練習し、腹筋や横隔膜の動かし方を知り、自分の世話をしてくれている親や周りにいる「自分に興味関心を持っている存在」の顔をみて、表情筋の動かし方を真似て、耳から聞こえてくる音を繰り返してみようと練習して、やっと言葉を話せるようになるのです。

マスクしたオトナから何を子どもたちは真似るのか?

街中にマスクした人があふれている今。
こういうことがこれから起こるだろうなと思うことが2つあります。

一つは、「言葉の発達が進まない乳児、しゃべることが得意ではない幼児が増える」だろうなということ。

もう一つは「他人軸でしか判断が出来ない、思考停止した人が大半になる」だろうということ。

これが、冒頭にも書いた「マスクの与える無意識への影響」です。

1~3歳児の言葉の発達が進まないのは、ともかく。
「思考停止した人が増える可能性が高い」というのは、いろんな事実から簡単に推測できるのです。

見ざる言わざる聞かざる

これは、一言で言うと「無関心なふりをして、なかったことにしてしまおう」という状態です。

2年前は、コンビニエンスストアなどでフルフェイスのヘルメットや、マスク、サングラスをしたままで入店されると、店員さんは少し身構えていたはずです。
何故なら、そういう「顔を隠した人」は、強盗をする可能性が高いとされていたからです。
その前に、人間の持つ深層心理の中に「知らないものを怖がる」という防衛本能があります。その方が、より生き残る可能性が高いからです。

でも、今はどうでしょう?

見知らぬ人がマスクをしていないことを不安に思う人のほうが多いのではありませんか?

それは「病気に感染するかもしれない」という生存本能の反応です。
しかし、実際の感染死亡者数はこの2年で何人だったでしょうか?


厚生労働省の記録によると、この2年間の累計での死者数は約2万7千人。
東京ドームで超満員のコンサートをしたとして、約5万5千人が収容できるそうです。
日本武道館だと、約1万5千人。


あなたの周りで、何人の人が「感染が主原因で死亡」していますか?

むしろ「陽性」とされたけれど、「完治した」人のほうが死者数より多くないでしょうか?

これは全部、調べてみれば出てくる情報です。

では、どうして多くの人はマスクをするのか?

一つ、「マスクをしないと、利用できない場所がある」

もう一つ、「マスクをしないと、他人に迷惑をかける」

何かを身に付けていない=仲間外れだから、皆と同じことはさせない

これって、小さなイジメですよね。

何かを見につけていない=行動する権利がない

基本的人権の尊重という、日本で一番重視される憲法に反する制限とも取れます。

何かを身に付けていない=誰かを病気にさせてしまう

病気とは、健康ではないから起きる状態ですよね。
その人の健康についての責任は、周りにも多少あるでしょうが、結局「持ち主が身体の状態について、理解したうえで、日々どういう生活をしているか」という部分です。


ということは、

わざと「世の中全員、苦しんで死ねばいい!」と何かしらの毒性の強い病原菌をばらまいたとて、生き残れるひともいるわけですよね。

人間の身体には、36兆以上の細胞があります。しかしその10倍近い微生物が皮膚にも、内臓にもいます。そのおかげで、食べ物を消化して、栄養として吸収出来たり、肌表面の状態をいい状態にしているって知ってますか?

微生物って、善?悪?

それすらも、肉体と理性では真逆だったりするわけです。

だから、他人に病気を移すという現実が起きるのは、相手が不健康な状態であるときに限ると考えられるのです。

育児放棄やネグレクト、家庭内暴力などで良く起きているのは、
その当事者だった人が自分の子どもに同じことをしてしまうという事実です。
嫌だったのに、同じことをする自分に絶望するという話はよくあります。

人間は、自分が経験したことから学びます。それを繰り返すことで、生き延びてこれたからです。


ということは、周りの大人がしてきたことを真似しているわけです。

食べるもの、会話。
そして、家族という人間関係の在り方。
お金に対する考え方。

全て、とは言いませんが、周りの大人の背中から知らず知らず学んだ「価値観」に影響されているのです。

今の大人から、20年後の大人になるこどもたちは、いったい何を無意識のうちに真似しようとするのでしょうか?

一方聴いて沙汰するな

この2年でいろんなことが起きました。

「見ざる聞かざる言わざる」に慣れっこになる自分にも、ちょっと飽きてきました。

恐怖や不安をあおるというのは、悪徳商法でよく使われる手段です。

「これを買えばモテる」

「これだけのお布施をすれば病気が治る」

でも信じる人もいますし、実際に望む結果を出す人もいる。それが人間の面白いところです。

本当に賢い人は、自分が何をしているか、得意げには言いません。
周りが勝手に「あの人はすごい」「君は天才だ!」と持ち上げて、才能を認められるだけです。

争いごとというのは、お互いの「言い分」が違う時に起きます。

「俺が先」

「いいや俺が先」

「これは私のもの」

「何言ってんの、私の」

家族や兄弟で言い争うことと同じように、地球上ではいろんなグループや会社、組織、そして国が言い争ってきました。

でも、それって今、必要なこと?
本当に死ぬかもしれないときに、隣の人と言い争うことできる?

猛毒な空気があふれて、マスクなしで暮らしていけないほど、私たちの世界は危険なのでしょうか?

2022年から、世界中で「マスクを外した生活」が再開されています。
その差はどこにあるのでしょうか?

微生物というものは、常に進化します。進化すればするほど、強くなるかというと、そんなことはありません。

この2年で強く思うことは、「一方聴いて沙汰するな」です。

日本人は、ディベートが得意ではありませんが、誰かにとってのYesしか考えられない「思考の偏り教育」のおかげかもしれません。
誰かの正解だけではなく、自分にとっての正解を自力で導き出せる。

それこそが、「自分の人生を自分の責任で生きる」ということだと、私はこの2年で実感し、確信しました。

さて、頭の体操です。

マスクは、いったい、誰にとって必要なものですか?
今のあなたにとって、マスクをし続けることはYesですか、Noでしょうか?

Yes,Noの両方をぜひ、紙に書き出してみてください。

たとえ、どちらか一択しかないとしても、反対側の意見も考えて1つは書いてほしいのです。

そうすれば、あなたが何を「重要」だとしているのかが、見えてくるでしょう。

私は、他人を言葉や物理的な状況で支配するという行為をこれまで、得意にしてきました。
より効果的に、より効率よく、相手を従わさせるという部分に注目し、観察をしてきました。

だから、マスクというアイテムをどう使うことで、精神的に相手を支配し、従わせられるかも、理解しています。

これからも、必要最低限でしか、私はマスクを使いません。

何故なら、「自分の細胞が心地良い」状態で、呼吸する自由、自分軸で行動する権利を最優先にしたいからです。
そのためにも、「自分にとってのYes」とその「逆は何か?」ということの両方から、世の中を見つめていきたいと考えています。

長文を最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。